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音楽から哲学へ――私がプラトンと出会い、研究者の道を歩み始めるまで

音楽から哲学へ

近年、デジタルヒューマニティーズといった新たな分野での活動を始めたことを機に、このたびウェブサイトを全面的に一新しました。

そしてこの機会に、これまでの自身の歩みを一度、ブログという形で記録してみようと思い立ちました。特に、完全に忘却する前にいつか書かなければと思いつつもなかなか果たせずにいた海外での研究生活の記録など、過去を振り返る話を少しずつ書き綴っていければと考えています。

初回となる今回は、私の原点である「なぜ哲学の道を志したのか」というテーマで、筆を起こしてみたいと思います。

水泳とギターに明け暮れた日々

Q. 大学で哲学を専攻される以前、例えば高校生の頃は哲学や思想といった分野にどのような興味やイメージをお持ちでしたか?

実を言うと、高校生の頃の私は、いわゆる文学青年や哲学少年といったタイプでは全くありませんでした。哲学書を読み漁るどころか、本を読む習慣もあまりなかったですね。小学校時代から水泳選手としてほぼ毎日練習していて、高校へも水泳の推薦で入学したくらい、スポーツに力を入れていました。ただ、高校に入ると、中学の頃から始めていたエレキギターの方に夢中になってしまって。水泳部には籍を置いていたものの、ほとんどの時間はバンド活動に費やしていました。ハードロックなんかを演奏して、哲学とはおよそ縁遠い生活を送っていたわけです。

そんな私にも大学入試はやってきます。京都大学を目指していたので、それなりに勉強を始めました。勉強不足で当然のように浪人してしまいましたが、その時はギターの弦を切って集中して勉強しましたね。その中で、京大の国語や英語の入試問題には哲学的な文章が多かった記憶があります。そういった文章に触れるうちに、「こういう抽象的な文章って結構面白いな、少し勉強してみたら面白いかもしれないな」と、本当に漠然としたイメージを抱くようになった。それが、哲学との最初の接点だったと言えるかもしれません。

音楽への情熱と、芽生えた根源的な問い

Q. 大学へ入学されてすぐに哲学を学ぼうと決めていらっしゃったのでしょうか。それとも、様々な授業を受ける中で徐々に関心が高まっていったのでしょうか。

いえ、大学に入ってからも、しばらくは音楽一筋でした。受験勉強中はあまり弾けなかったギターをもう一度やりたい、という気持ちが強くて、入学早々、軽音楽部に入ってバンド活動に明け暮れていました。そのうちジャズ・フュージョンに強く惹かれるようになり、アドリブで即興的に音楽を創り上げていく様に「すごいな」と感動して、本格的にのめり込んでいきました。独学では難しかったので、神戸にある甲陽音楽学院という音楽の専門学校にも通い始めて、大学とのダブルスクールのような生活を送っていましたね。当時の大学は、まだかなり自由な雰囲気だったので、それなりに単位は集まっていましたが、2回生くらいまでは勉強そっちのけで音楽ばかりやっていました。

転機が訪れたのは、3回生になる頃です。2年制だった音楽学校が修了の時期を迎え、周りの仲間たちはプロを目指してそれぞれの進路を決めていきました。スタジオミュージシャンになる者、バンド活動を続ける者。彼らの姿を見て、将来は音楽で身を立てたいと考えていた私も、「自分はこれからどうしたらいいんだろう」と真剣に考え始めたのです。

大学の方でも、3回生になると就職活動が始まります。不思議なことに、一般企業に就職するという選択肢は全く頭になく、音楽の道に進むことばかり考えていました。そんな中で、自分自身に対して、ふつふつと疑問が湧き上がってきたのです。「自分は、この人生をかけて音楽をやるのか?」「そもそも、なぜ自分は音楽をやりたいんだろう?」「それは自分の人生をかけるほどの意義があることなのか?」――この問いが、自分の中で非常に重要な問題として浮上してきました。

この悩みを抱え、私は色々な人に話を聞いて回りました。音楽学校のギターの先生に「なぜプロとして音楽を続けているんですか?」と尋ねたり、ライブで会ったミュージシャンに問いかけたり。今思えば、まるでソクラテスの問答法のようなことをしていたわけで、そんなこと考えている暇があったら練習しろと困惑させていたかもしれませんね(笑)。しかし、練習しようにも、その目的に対してどうにも納得のいく答えが得られない。ミュージシャンにとって音楽の重要性は自明のことで、「なぜやるのか」という問い自体が、彼らにとっては奇妙なものに聞こえたのかもしれません。

そんなことを考え始めている自分は、音楽に向いていないのかもしれない。そんなふうに思い悩み、自分の適性に疑念を抱くようになりました。幼少期から基礎的な教育を受けてきたわけでもない、という素養の不足も感じていたかもしれません。この道に進むのは、自分にとっては違うのではないか。そんな思いが日に日に強くなっていきました。

プラトン『国家』との衝撃的な出会い

身の回りの人たちに聞いても解消されなかった「芸術とは何か」という根源的な疑問。その答えを求めて、私は改めて大学での学問にきちんと向き合うことにしました。私が所属していた京都大学総合人間学部は、様々な分野を学べる場所でした。私は哲学や美学・芸術学の分野で多く単位を取得していたので、自然とそちらのゼミに所属することになりました。

当時、ゼミを担当されていた篠原資明先生は非常に魅力的な方で、学問の面白さや哲学的なキレのある洞察を、授業を通して生き生きと伝えてくれました。その先生のゼミに入り、美学や芸術について学んでいきました。それと同時に、様々な文学作品や入門書などを読み漁りました。ただ、すぐに「これだ」というものが見つかったわけではありません。

Q. 数ある哲学の分野の中で、特にプラトンやアリストテレスに代表される西洋古典哲学へと専門を定めた、その直接的なきっかけは何だったのでしょうか?

篠原先生のご専門はフランス哲学で、ゼミではベルクソンを原典で読んでいました。その延長線上で、ドゥルーズなどの他の現代思想の授業や勉強会にも参加しましたが、正直なところ、当時の私にはどうもピンとこなかった。専門用語が多用される議論の中に、自分が抱えていた切実な問い――「なぜ音楽をやるのか」「人生をかけるに値することとは何か」――への手がかりを見出すことが、なかなかできなかったのです。もちろん、それは当時の私の知識と経験が圧倒的に足りなかったからであって、現代哲学の問題ではありません。ただ、「自分の問いにもっと直接的に応えてくれる哲学が、どこかにあるのではないか」という漠然とした思いだけが、心の中で膨らんでいきました。

自分が何を勉強すべきか決められないまま、私は篠原先生に「何を勉強したらいいでしょうか」と相談しました。その時、先生がかけてくれた言葉が、大きなきっかけとなりました。「美学とか芸術とかを考えるなら、その問いは西洋古代から始まったんだから、とりあえずプラトンを読んでみたらいいんじゃないか」と。そのアドバイスを受けて、私は古代の哲学書を読み始めることにしたのです。

そして、3回生の夏休みだったと思います。私は、岩波文庫で分厚いプラトンの『国家』を、気合を入れて読破してみようと決意しました。これが、私の人生を大きく変える出会いとなりました。読み始めて、私は衝撃を受けました。『国家』は、美学や芸術だけを論じているわけではありません。「なぜ悪いことをしてはいけないのか? バレなければいいじゃないか」という、誰もが一度は抱くような素朴な疑問から出発し、「誰にも見られていなくても正しい行いをすべきだ」ということを、数百ページにわたって証明していく。そこで展開される議論は明晰かつ非常にスリリングで、哲人王の思想など、今まで全く知らなかった考え方に触れ、「こんな本がこの世にあったのか」「哲学には、こんなやり方があったのか」と、心から揺さぶられました。

この経験が決定打でした。それまで燻っていた音楽への未練は消え、「自分が本当にやるべきことは、これかもしれない」と強く感じたのです。自分が抱えていた問いに、これほど直接的に、そして真摯に向き合ってくれる学問がある。それは、私にとっては古代哲学でした。「これこそが、自分が本当にやりたかったことなんだ」と、確信した瞬間でした。

Q. 西洋古代哲学のどのような点に最も強く心惹かれたのでしょうか?

やはり、その「根本的な問いへの直接的な向き合い方」です。例えば「なぜ正しくあるべきか」という誰もが抱く疑問に対し、難解な専門用語を一切使わず、高校生でも理解できるような平易な言葉で、対話を通じて探求していく。読めば基本的なストーリーは理解できますし、「何を言っているか分からない」という置いてけぼりにされる感覚が全くない。それでいて、哲学的な思考をどんどんと深めていく。この、「直球の問いに直球で答えようとする姿勢」こそが、哲学の本質なのではないかと感じました。もちろん、他の哲学分野を否定するつもりはありませんが、少なくとも当時の私にとっては、そう思えたのです。

そして研究者の道へ

Q. 学問としての面白さを感じる段階から、研究者の道を志すようになったのは、どのような経緯があったのでしょうか?

プラトンにのめり込んだものの、私がいた総合人間学部には古代哲学の専門家がいませんでした。ここで本格的に研究を続けるのは難しいと感じた私は、「プラトンをやるなら文学部に行ってみたら」というアドバイスに従い、文学部の西洋古代哲学史研究室の扉を叩きました。そこで出会ったのが、中畑正志先生です。「プラトンを読みたいのですが、どうすればいいですか」と尋ねると、「まずは古典ギリシア語をやらないと話にならないから、授業に出てみたらいい」と言われました。

その時にはもう3年生も終わりかけており、1年かけて文法を学ぶ時間はありませんでした。春休みを利用して、独学でギリシア語の猛勉強を始めました。非常に難しく、何度も挫折しかけましたね。図書館で神様の名前をギリシア語の単語カードに書いて覚えていたら、友人から「何やってんの?」と不思議がられた記憶もあります(笑)。それでもなんとか食らいつき、4年生からは文学部の講読や演習に参加するようになりました。プラトンの初期対話篇や『国家』、アリストテレスの『形而上学』などを読む日々。「一週間のほとんどが、演習の予習のためにギリシア語の辞書を引くことで終わっていく」、そんな生活でした。

そうしたギリシア語漬けの日々の集大成として、卒業論文では、プラトンの『パイドロス』における芸術論について論じ、「努力賞だね」と言われたことを今でも覚えています。自分としては、初めてギリシア語の原典と向き合い、海外の研究書を読み解きながら、持てる力のすべてを注ぎ込んだつもりでした。その努力は認められながらも、「だが、研究の世界はここからが本番だ」という、静かながらも厳しいメッセージを受け取った気がしました。学問の道のりが、いかに険しく、そして奥深いものであるかを、身をもって知った最初の経験でした。

Q. 大学院に進学し、本格的に研究者の道を歩み始めるにあたって、将来に対する期待や不安はありましたか?

大学院への進学に、迷いは全くありませんでした。そもそも就職活動をしていませんでしたし、3回生の初めに人生について思い悩んだ末、ようやく「これが本当に自分のやりたいことなんだ」というものを見つけられたのですから。やり始めたばかりのこの学問を、もっと深く探求したいという気持ちが圧倒的に強かった。将来食べられなかったらどうしよう、といった不安よりも、「もっと勉強したい」という欲求が勝っていました。そもそも、ミュージシャンを目指すよりは、私にはよっぽど安全な道に思えましたので(笑)。幸い、両親は私がやることを基本的に応援してくれましたし、その経済的なサポートがあったことも非常に大きかったと思います。

Q. 研究者の道を志す上で、特に影響を受けた言葉や出会いはありますか?

文学部の研究室に入ってから出会った中畑先生や先輩後輩からは多大な影響を受けましたが、その話はまた別の機会に譲るとして、特に私の心に深く刻まれている言葉があります。それは、大学院の募集要項に書かれていた一文です。

「粘土細工的な気ままな思考を斥け、大理石の硬材を刻むように」哲学を学ぼうとする精神の持ち主を求める

この言葉は、中畑先生の師である藤沢令夫先生が、日本西洋古典学会創立50周年記念の際に講演された記録からの引用です(「西洋古典学と、哲学の再生――回顧と展望――」『思想』2000年4月号)。紆余曲折を経て、この道に人生をかけると決めた私にとって、この言葉は非常に重く響きました。どうせやるなら、きちんとやりたい。哲学の始まりから学べば間違いないだろう、という思いもありました。そして、研究室で実際に始まったのは、まさに「大理石の硬材を刻む」ような学びでした。

古代のテキストを読むということは、ただ小説を読むのとは全く違います。一つの単語、一つの文章を、これまでの研究者たちが悩み考えてきた膨大な歴史の蓄積を踏まえた上で、一つひとつ丁寧に解釈していく。自分の思いつきを気ままに語ることが哲学なのではなく、歴史の重みを背負い、先人の業績の上に自らの仕事を築き上げるとはどういうことなのかを体感する日々でした。古代からトップクラスの知性が考え抜いてきたことに向き合い、その上で新しい考えを導き出していく。その厳しさこそが、この学問の、そして哲学そのものの重要性なのだと感じました。

研究室に掲げられたこの言葉は、「自分がやるべきことはこれなんだ」という思いを確固たるものにしてくれました。そして、京都大学の古代哲学研究室で研究を続けていくのだという決意を、新たにさせてくれたのです。